鬼塚英昭の原爆の秘密[国内篇]に、東京ローズが、原爆投下に係わる秘密情報を入手し、それを放送で配信したとする記述がある。
東京ローズがささやいた「テニアンの秘密」 by 鬼塚英昭 1
http://satehate.exblog.jp/9373582/
東京ローズがささやいた「テニアンの秘密」 by 鬼塚英昭 2
http://satehate.exblog.jp/9379355/
米軍関係者は驚いたはずである。
ただ、これは、秘密裡にもらった情報を、受入れ準備完了したことを知らせる意味で配信したのではないかと推定する。
要するに、東京ローズ関係者は、原爆投下情報があることを知っていて、国内向けには知らないふりをして裏切ったのである。
同じ本の108頁に、同盟通信グループが全員クリスチャンになったとの記述がある。
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淵田大佐は海軍が畑元帥のもとへ送り込んだ”使者”であった。淵田は戦後、クリスチャンになった。ヨハンセン・グループ、同盟通信グループも全員クリスチャンになることで、一原爆孤老が書いたように「日米協力プロジェクト」の一員となり、「幸せという名の身分」をアメリカから与えられた。
私は太平洋戦争開戦以前から、淵田たちはアメリカの隠れエージェントであったと思っている。
『エノラ・ゲイ』の最後の文章に注目してほしい。「その光景は真珠湾攻撃から三年七カ月二九日後の今となって、彼には奇襲戦は両刃の剣であることを惨酷に思い知らせるものであった」
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同盟通信と東京ローズとの関係は、以下のサイトにて参照できる。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E7%9B%9F%E9%80%9A%E4%BF%A1%E7%A4%BE
9月14日、連合軍総司令部より同盟へ即時業務停止の命令が伝達された。翌日の正午に命令は解除されたが対外電信放送、海外の同盟特派員からのニュース差し止め、社内には100%の検閲制度を設けると申し渡された。総司令部の新聞課は同盟の対外放送は禁止したが外国通信社とのニュース契約をするのは差支えなしと説明した。しかし明らかに歓迎はしていなかった。AP通信、UP、INSは同盟とのニュース契約の確かな返事をよこさなかった。反対に9月より朝日はAP通信、ニューヨークタイムズ、毎日はUP、読売はINS、AP通信が紙面に掲載された。それは全て新通信社結成の運動が背景にあると同盟側は認識した。
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http://blog.ohtan.net/archives/50954408.html
2006年09月29日
「東京ローズ」の死
太田述正コラム#1425(2006.9.29)
<「東京ローズ」の死>
1 始めに
かつて「東京ローズ(Tokyo Rose)」と呼ばれた、アイヴァ・イクコ(郁子)・トグリ(戸栗)・ダキノ(Iva Ikuko Toguri D’Aquino)が、シカゴで90歳で亡くなりました。
彼女のことについては既にご存じの方も多いと思いますが、彼女の死が英米のメディアで大きく報じられている一方で、日本のメディアはAP電に依拠したおざなりな報道しかしていないので、この際、トグリの生涯をご紹介することにしました。
(以下、事実関係は、
http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,,1882241,00.html
(9月28日アクセス)、及び、
http://www.fbi.gov/libref/historic/famcases/rose/rose.htm、http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/5389722.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/5388658.stm、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-me-rose28sep28,0,7811832,print.story?coll=la-home-world、http://www.nytimes.com/2006/09/28/world/asia/28rose.html?_r=1&oref=slogin&ref=world&pagewanted=print、
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20060928/20060928a3470.html、
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163442804
(いずれも9月29日アクセス)による。)
2 トグリの生涯
トグリの生涯はざっと次のとおりです。
1916年:米独立記念日にロサンゼルスに、日本人移民の両親の下に生まれる。
1940年:カリフォルニア大学ロサンゼルス校動物学科を卒業。
1941年:おばの看病と医学履修のために東京に渡る。しかし、帰米しようと、(パスポートなしで来日していたので)米領事館にパスポートを申請。しかし、日米開戦となり、日本に取り残される。彼女は日本国籍取得を拒んで他の在留米国人同様に収容されることを希望したが認められず、他方、配給も得られなかったので、働くことを決意し、日本語の勉強に励んだ。
1942年:同盟通信に英文タイピストとして勤務。
1943年:NHKに移る。当初は英文タイピストだったが、乞われて、対米兵情宣英語ラジオ放送番組の「ゼロ・アワー」のディスクジョッキー兼アナウンサーに就任した。NHKの情宣ラジオ番組はほかにもあり、同じような役割の女性も他に何人もいたが、彼女だけが米国籍だった。これら女性は、日本の情宣番組を聴取していた太平洋各地の米兵から、「東京ローズ」と総称されるに至った。なお、「ゼロ・アワー」の監修者は米国生まれの日本人2人だったが、実際に番組制作にあたったのは、放送経験のある連合国軍の英国軍人以下3人の捕虜達だった。この捕虜達にトグリは、身の危険を冒して、食糧や医薬品を提供し続けた。捕虜達もトグリも、米兵の士気低下につながらないように放送用語等に配慮してこの番組の制作を行った。実際、この番組は米兵の士気を低下させるどころか、米国の音楽の放送もこれあり、好評を博したとさえ言える。
1945年:同盟通信時代の同僚の、日本人の血も入っているポルトガル国籍の男性と結婚し、ダキノ姓となるも、トグリは米国籍を維持した。終戦に伴って番組は終了した。その直後、米国の2人の記者が、米軍兵士の間で人気のあった「東京ローズ」を探したが、250米ドルをもらえるというので、トグリは自分が「東京ローズ」であると言って彼らのインタビューに応じた。しかし、約束に反して謝金は支払われなかった。このインタビュー記事を見た占領軍(米陸軍)と米司法省(FBI)は彼女を逮捕し、長期にわたって拘束して取り調べたが、容疑なしとして釈放した。その後、彼女は再び米国のパスポートを申請した。
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